広島県は日本の西部,中国地方に位置する県です。
2021年3月現在の人口は2,788,633人で,広島市はその中心都市です。
1945年8月6日。
その広島に何が起こったか,知っていますか?
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分,
広島に,世界で最初の核兵器である原子爆弾が落とされました。
それは,従来のどの兵器よりもはるかに大きな威力をもっていました。
一瞬にして街の大半を破壊し,焼き尽くし,多くの人々を犠牲にしました。
8月6日の朝も,いつものように,ある人は仕事場に向かい,ある人は家での用事をかたづけ,中学生たちは決められた勤労奉仕に出て行きました。
その人たちの頭上に原子爆弾が炸裂したのです。
原爆の激しい熱線は爆心から600メートルの地点でも瓦の表面を溶かすほどでした。
屋外でその熱線を浴びた人たちは全身に重度の火傷を負い,熱と渇きに苦しみながら亡くなりました。
原爆の爆風は建物を破壊し,吹き飛んだ大量のガラス片は屋内にいた人をも傷つけました。
原爆による被害はそれだけではありません。爆発とともに降り注ぐ放射線は外傷が殆どなかった人の身体をも蝕み,多くの人が原爆投下後数日のうちに様々な病気や障害を発症して亡くなりました。
さらに,爆発後も長時間にわたって残留放射線が地上に残されたことで,救援・救護活動や肉親を捜すために市の中心部を訪れた人の中にも,直接被爆した人と同じように病気になったり亡くなったりすることがありました。
原爆の放射線は,その後も多くの人々に健康被害をもたらしました。
病気に苦しむだけではなく,胎内被爆による障害を持っている人もいます。
いま,広島で
終戦後,原爆の影響が残る広島の地では,こんな言葉がささやかれていました。
「広島には75年間は草木も生えないだろう」
けれども,あるとき一面の焼け野原・焼け焦げたレンガの隙間から、カンナの花が咲きました。この花に人々は勇気と希望をもらって復興に向け歩き出したのです。
これは,2021年の広島の様子です。
人口は119万人を越え,市街地にもたくさんの草木が植えられています。

ここは平和記念公園です。中央には原爆死没者慰霊碑があります。
私たちは,幼稚園や小学校の頃から原爆について学んでいます。
毎年8月6日には平和記念式典が行われます。そして,あの日熱線に焼かれ,水を求めて亡くなっていった人たちの心が安らぐようにという祈りを込めて,私たちはこの慰霊碑に水を供えています。
広島から世界へ
78年前。
私たちと同じように、日常生活を送る人々がいました。
大切な人との時間を過ごし、未来を思い描き、時に不安を感じ、時に退屈しながらも、今を穏やかに生きていました。
それは現代と何ら変わりません。
戦争というと、なんだか遠いモノに感じる方も多いと思います。
怖いし、未知だし、壮大なモノだと。

今、私たちが、日本で平和に生きているのは、そんな”過去”が紡がれて、戦争に関して錯綜する”想い”が、今に受け継がれているからではないでしょうか。
戦争を、過去のものとして風化させてはいけない。
そんな想いから、私たち広島の高校生は、平和を発信し、伝えていきます。
過去のことを学ぶのではなく、未来のために学ぶ。
他人ごとではなく、自分のこととして考える。
このサイトを通じて、皆さんの日常生活の中で少しでも世界や未来について想いを馳せるお手伝いができたらと思います。