
参加方法
〇「あなたの考える平和」を投稿しよう
投稿ボタンから、あなたの考える平和について折り紙の裏に入力してください。投稿をすると、折り紙が折り鶴となって飛んでいきます。
飛んでいった折り鶴は木にとまり、私たちのメッセージを世界中に発信してくれます。
〇 平和に対する考えを共有しよう
折り鶴をクリックすると、ほかの人が書いた平和に対する考えを見ることができます。共感したものや気に入ったものは、折り鶴の形をしたいいねマークを押して、考えを共有しましょう。
FLYとは?
あなたにとって「平和」とは何ですか?
あなたは今と未来の平和のために何をしますか?
このプロジェクトは、平和について考えることで世界中の人々と繋がり、平和への想いを共有し、強めることを目標にしています。
紛争や戦争は当たり前の穏やかな日々を奪い取っていきます。
何も悪いことをしていない人々の命を奪い取っていきます。
美しい、綺麗な私達の心を奪い取っていきます。
そんな日々の中で暮らしている人は、実は今もたくさんいます。
その日1日を暮らすのに精一杯な人々は、私たちの知らないところで苦しんでいるのです。
あなたの一つの投稿が、あの悲惨な歴史を繰り返さないための鍵になります。
1人1人が平和について考え、行動を起こすことが、「平和」を守る第一歩です。
平和について、今まで考えたことのある人も、そうでない人も、世界中の人に向けてあなたの想いを折り鶴に込めて発信してみませんか?
あなたの想いを綺麗な折り鶴たちがたくさんの人々に届けてくれるでしょう…。
折り鶴について
皆さんは折り鶴が何か,なぜ折り鶴が平和の象徴とされているか知っていますか?
そこには、懸命に夢を追いかけ続けたある少女の生涯が隠されています
ある少女。それは佐々木禎子さんです。
1945年8月6日、広島でたった2歳で原爆を経験し、爆風で屋外へ吹き飛ばされもしました。 運のいいことに、怪我は何ひとつしませんでした。しかし、火災から逃げている途中に「黒い雨」に打たれました。「黒い雨」は放射能をたくさん含んでいて、体にとても悪いものでした。 それでも禎子さんはとても元気に育ち、小学生になりました。足がとても速く、クラスのみんなからうらやましがられていたそうです。この頃から、「中学校の体育の先生になる」という夢も持ちました。 原爆の影響が体に出てきたのは、禎子さんが大好きな運動会を間近に控えた、6年生の終わり頃です。 最初は軽い風邪のようで、そのまま様子を見ていたそうです。 冬になると、高熱が続き、ほほが腫れ上がったようになり、病院に行っても治らなくなりました。 禎子さんは、原爆の放射能による「白血病」でした。余命は長くてもたったの1年。禎子さんが折り鶴と出会ったのは、入院中です。名古屋からお見舞いとして送られたそうです。
“千羽折ると願いが叶う” これは折り鶴にまつわる言い伝えです。禎子さんの願いは、もちろん「生きたい」。
病気を治し、家に帰り、中学校生活を送りたかったのです。回復を信じ、丁寧に薬の包み紙や包装紙で小さな小さな鶴を折り続けました。しかし、千羽を超えても、病気は治りませんでした。願いは叶わず、たった13歳で亡くなりました。禎子さんが亡くなってから、友達たちが禎子さんのための像(原爆の子の像)を作りました。そして、千羽鶴と佐々木禎子さんの存在が世界中で知られるようになりました。
平和の象徴 ー 千羽鶴
それは、千年生きると言われている鶴に想いを寄せ、最後まで生きることを諦めなかった1人の少女、佐々木禎子さんの願いと、「同じように苦しむ人を生んではいけない」という人々の決意を表すものなのです。